400年ぶりの再現

セミナリヨの授業

 

 

 

戦国時代のルネサンス!有馬のセミナリヨの授業再現事業

事業の歴史的背景

 400年前のキリシタン時代。当時の史料は日本国内には幕府の弾圧等でほとんど残されていませんが、ローマへ行くと宣教師が書き送った報告書で、当時の様子が事細かに分かるのが、南島原市です。当時の記録を見ると、400年前の戦国時代の島原半島は最も輝きを放っていました。

 当時、国際交流の中心的存在であったのが、「有馬のセミナリヨ」でした。有馬のセミナリヨは日本初のヨーロッパ派遣団「天正遣欧少年使節」、たった一人でアラブの砂漠を踏破しローマで学んだペトロ・岐部・カスイなど多くの国際人を輩出しています。一時期、豊臣秀吉の伴天連追放令の影響で、加津佐・有家など島原半島内を転々としましたが、セミナリヨは、日本中のキリシタン子弟たちが目指す日本で唯一のキリシタン学校となっていきました。また当時の生徒は、日本人だけではなく海外の留学生までもが卒業生名簿に名前を連ねているのです。

 セミナリヨではルネサンス期の最先端の学問がヨーロッパの教授陣により日本で初めて組織的に島原半島で享受されました。領内ではラテン語のグレゴリオ聖歌が流れていました。イタリアからプロの芸術家が招かれ、西洋画が描かれていました。セミナリヨではオルガンや南蛮時計までも製作していたのです。海外に自由に渡航できたこの時代。南島原市はまさにキリシタン時代の日本における「学園都市」であり、多くの外国人との国際交流がありました。

 

セミナリヨの生徒と同年代の中学生が郷土の魅力を再発見

 有馬のセミナリヨを有する南島原市世界遺産市民協働会議は、有馬歴史研究会を主管に、戦国時代に花開いたルネサンス期の教育を400年ぶりに再現することとしました。教育スケジュールは可能な限り当時の日程で再現し、今後を担う南島原市内の中学生に南島原市が持つ魅力再発見の場を提供することを目的とします。

 併せてセミナリヨの生徒と同年代にあたる中学生に、セミナリヨの第1期生であり日本で初めてのヨーロッパ派遣団「天正遣欧少年使節」の偉業を再認識し、地域文化の再発見と魅力向上、国際交流の大切さの意識高揚を目指します。

 


 

 

 

 

 

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