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バリニャーノの再来!ピタウ大司教来町

 

  

南島原市シンポジウムの開催に際しローマカトリック教会のヨゼフ・ピタウ大司教が北有馬町を訪問されました。

1613年の有馬川の殉教地に足を運ばれました。

 平成20年2月9日に南島原市有家町で開かれたユネスコ世界遺産暫定一覧表登録記念シンポジウムにローマカトリック教会のヨゼフ・ピタウ大司教が招かれ、前日の2月8日に北有馬町を訪問されました。

 ピタウ大司教はイタリアのサルディーニャ出身。上智大学学長に就任後、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の要請により、イエズス会本部へ招かれました。教皇庁立グレゴリアン大学学長、教皇庁立科学アカデミー・ 社会科学アカデミー会長、バチカン教育省局長などを歴任され、現在、再来日し上智大学におられます。

 大司教は北有馬町は初めての訪問との事で、北有馬総合支所付近のバリニャーノが創立した有馬のセミナリヨ跡地、宣教師たちが訪れた日野江城に足を運ばれました。北有馬総合支所前を流れる有馬川越しでは1613年に有馬の家臣の家族8名の殉教があっており、今年11月の列福式で福者の栄誉を与えられる188名にその名を刻まれています。また、今回列福を受ける殉教者には有馬のセミナリヨの卒業生も多く含まれるなど、北有馬町には大いに関係がある列福式です。

 ピタウ大司教は有馬川越しに見える殉教地を眺められると、思わず涙を流され「ここは聖地です」とコメントされました。400年前のキリシタンたちにとっては、大いに価値のある大司教の一言となりました。

 イタリア出身のピタウ大司教の北有馬町訪問は、有馬のセミナリヨを創立したイエズス会の巡察師バリニャーノ以来、400年ぶりに有馬を訪れたイタリア人神父ともなりました。

ヨゼフ・ピタウ大司教は2014年12月26日にご逝去されました。お悔やみを申し上げます。

最も教育が充実した頃、1601年に長崎から有馬に移転したセミナリヨ跡地を訪問 有馬川越しの殉教地では涙を流されていました。
有馬のセミナリヨでの教育の素晴らしさを力説されました。
夕食は当時の宣教師たちも食べた南蛮料理でもてなしました。


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