430年前の風味と味を空想させる。

ポルトガルから伝えられたスイーツを推定復元!

430年前に伝えられたポルトガルのスイーツ

 430年前、大変な貴重品だった「砂糖」を使ったお菓子が日本にもたらされました。セミナリヨがあった有馬でも作られていたものと思われます。

 南島原市では、町のお菓子屋さんが当時のお菓子を推定復元しました。クリスマスイベントでは、430年前のお菓子も味わえるんです。

 日本へやってきた宣教師やポルトガルの商人たちは、430年前の日本では大変貴重品だった「砂糖」を使ったお菓子を大名たちへの献上品の一つに揚げています。事実、豊臣秀吉は、金平糖が大好物だったことが伝えられています。

                         

 セミナリヨが置かれ、ヨーロッパからの様々な文化が伝えられた南島原市北有馬町。大陸に近いという地の利を持つキリシタン大名「有馬晴信」には、南蛮船が入港すると、早速、あいさつ代わりにポルトガルの商人たちが日野江城を訪れ、ヨーロッパのお菓子を献上したことでしょう。ときにはセミナリヨの生徒たちにも、ポルトガルのお菓子が振る舞われていかもしれません。

                        

 南島原市北有馬町では町のお菓子屋さんがポルトガルに古くから伝わる製法で、当時のお菓子を推定復元しました。お菓子の名前は「Bolo(ボーロ)」。現在の丸ボーロの原型となったお菓子です。430年前の聖歌を聴きながら、ポルトガル直輸入のワインを飲(や)る。そして430年前のお菓子を味わう。430年前のクリスマスへの想像は広がるばかりです。

                        

パスティスシュ・デ・ナタ(今回は準備できません。)
ボーロ(イベントでご賞味ください)
 

 小麦粉製粉の苦労話
 
推定復元したお菓子(2品)
  材料の小麦粉を挽くのは苦(ぐ〜)見ました。有馬歴史研究会の皆さん

 

 

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