戦国時代。400年前の有馬氏の都市計画

世界遺産候補を知ろう

〔日野江城本丸から見る日野江の城下町〕

 

少年使節もこの風景を目にした

 

   今から約420年前の1595年、スペインの商人アビラ・ヒロンが日野江城を訪れています。ヒロンの記録(日本王国記)では、「本丸御殿の戸を開けると眼下には海と遠くの島々が見えていた」とあり、この場からの眺望にその当時を馳せることができます。

 また、日野江城跡本丸から見ると、南側には北岡の教会跡(南島原市南有馬町)、浦田観音(南有馬町)、原城(南有馬町)が順に望めます。当時の重要拠点であったと思われるこの3地点は、日野江城の本丸から城下町に下りる古道を通じ、真っ直ぐにすべて一直線、しかも真北から真南の方角に並んでいるのです。現在も日野江城本丸跡からは、有馬氏の城下町の都市計画の一環が眼下に広がっています。

 当時の城下町(北有馬町側)を展望すると、現在の有馬川沿いは干拓のため地形が一変していますが、セミナリヨが置かれヨーロッパの人々が日野江の城下町を訪れた頃の北有馬町は、有明海独特の干潟が現在の南島原市北有馬支所方面までは広がっていたと思われ、満潮時でないと船は上ることができなかったことが、古地図に記されています。さらにセミナリヨ跡地は城のすぐ下にあり、セミナリヨの音楽の時間には、風に乗って西洋音楽の調べがこの地まで届いていたかもしれません。 (日野江城本丸には解説板が設置されています。)



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