4少年たちも目にした

日野江城の金箔瓦

世界遺産候補を知ろう〔日野江城跡出土の金箔瓦編〕

少年使節もこの金箔瓦を見た

 
 

 平成 10 年度に実施した第 4 次日野江城跡発掘調査で、城郭東側の通称二の丸跡からほぼ完全な形の金箔瓦が出土しました。金箔瓦の出土は長崎県内で初めて、九州では豊臣秀吉が作った佐賀県の名護屋城などに次ぐ 4 例目の貴重な遺物である。出土した金箔瓦は鳥伏間(とりぶすま)と呼ばれる瓦で、頭の部分は長軸 17 センチ、短軸 16 センチで、中心の直径 11 センチの部分に巴文(ともえもん)といわれる文様や周囲の 17 個の珠文が完全な形で残り、中心全面の凹凸両面に金箔が施してあります。

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 金箔瓦を使用できたのは豊臣直営もしくは直系の大大名で、豊臣政権の中でも重要な位置を占める城郭のみにその使用が許されていました。金箔瓦の出土により 4 万石の小大名の有馬氏が時の天下人である豊臣秀吉と密接な関係にあったことを示す証拠として注目を集めています。

 さらに1590年に天正遣欧少年使節が帰国し、日野江城で有馬晴信の歓迎を受けたときのイエズス会年報には「4少年は新築したばかりの城内のある屋敷に案内され、その家は金銀財宝などが並べられていた」とあり、金箔瓦を使用した家屋とも関連づけられています。

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 現在、金箔瓦は有馬キリシタン遺産記念館にレプリカを展示しています。


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