世界遺産候補を知ろう

日野江城大手口の船着場遺構

宣教師やポルトガル人が登城した。日野江城大手口の船着場遺構

大手口の船着場遺構(現在は駐車場)

 

 日野江城大手口に隣接する大手川沿いには来客用の駐車場が整備されています。整備前にはこの地の発掘調査が行われ、大手川と平行に3列の石組みが確認されました。石組みは大手川に横付けした小舟の船着場と考えられています。石組みの下には慶長時代と考えられる丸太も確認されています。遺構は埋め戻され現在は駐車場として利用されています。

 有馬領を目指した大型の南蛮船は外港である口之津港に入港しました。現在でも日野江城跡の海岸沿いでは有明海特有の干潟が広がっています。宣教師や南蛮人たちは小舟に乗り換えて大手川伝いにこの大手口の船着場に横付けして入城しました。

 1640年代の有馬領土の古地図(高力摂津守分領図)には汐時舟入と記載されていること、「満潮の時には小川を登って民家のみならず城に船が横付けできる」とのスペインの商人の記録も大手口の船着場の存在を裏付けています。

 

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4少年はこの場所から

ヨーロッパへ出発した。

発掘現場での船着場遺構

天正遣欧少年使節もこの地からヨーロッパに出発した。

南蛮屏風に見る400年前の船着場の様子

南蛮人の日野江城着岸のイメージ

大手川河口から日野江城跡を望む


 

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