海外の技術を城郭に体現した石垣遺構

世界遺産候補を知ろう

〔日野江城跡の階段遺構〕

少年使節もこの階段を登った

階段遺構左側の整形された外来系石組み。その左側には同時期の日本の技術である乱れ積みの城壁が見えます。

技術の明らかな違いがよくわかります。

発掘調査で出土した仏教石

現在は建家で覆っています。

発掘調査直後の階段遺構一体

 
 

 平成10年度の第4次日野江城跡発掘調査で、階段の約60%にのぼる五輪塔等を使用した階段遺構と外来(外国)系の技術で構築された石垣遺構が検出されました。これはセミナリヨがあった頃とほぼ同時期の遺構で、特に外来系技術の石垣遺構は、精力的に海外との交流を押し進めたキリシタン大名ならではの遺構であり、今後も日本の他の城郭で見つかる可能性は極めて低いと言われる画期的な石垣遺構です。

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 時期的にも有馬氏がキリシタンの時代の遺構と考えられ、400年前に宣教師、ポルトガルの商人や天正遣欧少年使節の4少年も上り下りした22段の階段遺構の出土です。発掘調査ではこの階段を上りきったところから金箔瓦が出土し、近辺には金箔瓦を使用した大型の高麗門が存在した可能性もあります。外国系の技術を駆使した石垣遺構に特殊な階段遺構、さらには金箔瓦を使用した高麗門などを同じ視野に入れることができるように意図的に配置し、日野江城の大手門を来訪者に圧巻させる見栄えを考慮した有馬晴信の意図が感じられる遺構です。
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 現在、階段遺構は風雨から守るため、建家で覆い公開しています。

 


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